でぃすかばー・とうきょう
歩いて見ました東京の街

第二章 中央区
補-8 (9/11)
万年橋 <中央区築地一丁目>

03-08-01-01橋東詰から 1976-11-04

03-08-01-02橋東詰から 1976-11-04
一之橋、二之橋、三之橋跡 <中央区新川一丁目>

03-08-02-01一之橋跡 1976-11-26

03-08-02-02二之橋跡 1976-11-26

03-08-02-03三之橋跡 1976-11-26
緑橋跡 <中央区日本橋横山町 1-2と日本橋大伝馬町 15-16の間>

03-08-03-01角のビルが旧緑橋 1976-11-28

03-08-03-02左のビルが旧緑橋 1976-11-28

03-08-03-03掘割跡の公園 1976-11-28

03-08-04-01掘割跡の公園 1976-11-28
親父橋 <中央区日本橋小網町16>

03-08-05-01白いビルが掘割跡 1976-11-28

03-08-05-02木造家屋が掘割跡 1976-11-28

03-08-05-03白いビルが掘割跡 1976-11-28
和国橋跡<中央区日本橋小舟町二丁目と堀留一丁目境>

03-08-06-01右五階建てビル付近 1976-11-28

03-08-06-02堀留児童公園 1976-11-28
海運橋跡 <中央区兜町 13先>

03-08-07-01案内板詳細 1976-11-28

03-08-07-02親柱近景 1976-11-28

03-08-07-03親柱遠景 1976-11-28

03-08-08-01突き当り左 1979-03-23
新場橋跡 <中央区兜町三丁目>

03-08-09-01橋北詰から 1976-11-28

03-08-09-02橋南詰から 1976-11-28

03-08-09-03久安橋から 1976-11-28
松幡橋 <中央区京橋 と 八丁堀 の間>

03-08-10-01橋北詰から 1976-11-28

03-08-10-02橋南詰から 1976-11-28
新金橋 <中央区銀座 1-19>

03-08-11-01旧名真福寺橋 1976-11-28
中之橋跡 <中央区銀座 1-12>
03-08-12-01中之橋跡 1976-11-28
隅田川大橋 <西岸は中央区日本橋箱崎町、東岸は江東区佐賀1丁目>

03-08-13-01橋西詰から 1979-10-15

03-08-13-02橋上の景 1979-10-15

03-08-13-03橋親柱近景 1979-10-15

03-08-14-01橋全景 1979-10-15
佃小橋 <中央区佃 1-6と10の間 >

03-08-15-01旧橋東詰から 1982-09-14

03-08-15-02旧橋全景 1982-09-14

03-08-15-03橋上から 1982-09-14

03-08-16-01新橋全景 1984-05-20

03-08-16-02新橋東詰から 1984-05-20

03-08-16-03新橋西詰から 1984-05-20
月島橋 <中央区月島 4-21先>

03-08-17-01橋全景 1982-09-14

03-08-17-02橋南詰から 1982-09-14

03-08-17-03橋たもとの碑 1982-09-14
久安橋(きゅうあんばし) <中央区八丁堀2-5と宝町の間>

03-08-18-01橋東詰から 1982-10-12

03-08-18-02橋西詰から 1982-10-12

03-08-18-03橋全景 1982-10-12
新亀島橋 <中央区日本橋茅場町 と 同区新川 の間>

03-08-19-01橋西詰から 1982-10-12

03-08-19-02橋全景 1982-10-12

03-08-19-03橋全景 1982-10-12

03-08-20-01橋のたもとの碑 1982-10-12
入船橋 <中央区築地3-2と入船3-2の間>

03-08-21-01橋西詰から 1982-10-12

03-08-21-02橋上から 1982-10-12

03-08-21-03橋西詰から 1982-10-12

03-08-22-01橋全景 1982-10-12
暁橋 <中央区築地3-5と明石町10の間>

03-08-23-01橋東詰から 1982-10-12

03-08-23-02橋東詰親柱 1982-10-12

03-08-23-03橋全景 1982-10-12
宝橋 <中央区京橋二丁目と八丁堀三丁目の間>

03-08-24-01橋東詰から 1982-10-29
03-08-24-02橋東詰から 1982-10-29
03-08-24-03橋上から 1982-10-29
新富橋 <中央区新富町二丁目と銀座一丁目の間>
03-08-25-01橋西詰から 1982-11-12
03-08-25-02橋東詰から 1982-11-12

03-08-25-03橋東詰親柱 1982-11-12

03-08-26-01付近の景 1982-11-12
桜橋跡 <中央区八丁堀四丁目と新富町一丁目の間>

03-08-27-01右の木付近 1982-11-12
築地橋 <中央区築地一丁目と新富町二丁目の間>

03-08-28-01橋南詰から 1982-11-12

03-08-28-02橋全景 1982-11-12

03-08-28-03橋上から 1982-11-12
亀井橋 <中央区築地二丁目と銀座二丁目の間>

03-08-29-01橋東詰から 1982-11-12

03-08-29-02橋全景 1982-11-12
祝橋 <中央区築地一丁目と銀座三丁目の間>

03-08-30-01橋全景 1982-11-12

03-08-30-02橋西詰から 1982-11-12

03-08-30-03橋東詰から 1982-11-12
千代橋 <中央区築地一丁目と銀座三丁目の間>

03-08-31-01橋東詰から 1982-11-12

03-08-31-02橋東詰から 1982-11-12
03-08-31-03橋西詰から 1982-11-12

03-08-32-01橋傍の公園 1982-11-12

03-08-32-02橋傍の公園 1982-11-12

03-08-32-03橋上から 1982-11-12
南明橋跡 <中央区築地7-2先>

03-08-33-01このあたり 1983-01-12

03-08-33-02埋立後は公園に 1983-01-12

03-08-34-01橋の碑 1983-01-12

03-08-34-02橋親柱 1983-01-12
市場橋 <中央区築地四,五丁目と市場の間> 1983年の埋め立てにより廃橋

03-08-35-01橋全景 1983-01-12

03-08-35-02橋南詰から 1983-01-12

03-08-35-03橋北詰から 1993-01-12

03-08-36-01橋上から 1983-01-12
紺屋橋跡 <中央区銀座一丁目と八重洲六丁目の間>
03-08-37-01高架下が橋跡 1983-01-21
03-08-37-02橋東詰から 1983-01-21

03-08-37-03児童公園 1983-01-21
西河岸橋 <中央区日本橋八重洲と同区室町の間>

03-08-38-01橋南詰から 1983-01-21

03-08-38-02日本橋から橋全景 1983-01-21
晴月橋 <中央区月島4丁目と中央区晴海1丁目の間>

03-08-39-01橋西詰から 1983-02-12

03-08-39-02橋東詰から 1983-02-12

03-08-39-03橋上から月島側 1983-02-12

03-08-40-01橋全景 1983-02-12
右が晴海側
相生橋 <西岸は中央区佃二丁目と三丁目を分かち、東岸は江東区越中島一丁目と二丁目を分かつ>
03-08-41-01橋西詰から 1985-01-17
03-08-41-02橋東詰から 1985-01-17

03-08-41-03橋の碑近景 1985-01-17

03-08-42-01橋の碑詳細 1985-01-17

03-08-42-02橋の碑遠景 1985-01-17

03-08-42-03橋の碑遠景 1985-01-17

03-08-43-01橋東詰から中の島公園 1985-01-17

03-08-43-02中の島公園から佃側を1985-01-17

03-08-43-03中の島公園から北側を1985-01-17

03-08-44-01案内板 1985-01-17

03-08-44-02中の島公園 1985-01-17

03-08-44-03橋の碑 1986-05-16
春海橋 <中央区晴海 2-2先>

03-08-45-01橋親柱 1988-07-09

03-08-45-02橋上から下流を 1988-07-09

03-08-45-03新月島公園 1988-07-09

03-08-46-01東詰から 1992-04-06

03-08-46-02東詰から 1992-04-06

03-08-46-03西詰を 1992-04-06

03-08-47-01西詰から 1992-04-06

03-08-47-02西詰から 1992-04-06

03-08-47-03西詰から鉄道橋 1992-04-06
【春海橋下流側の鉄道橋の話】
 東京港の晴海埠頭で水揚げされた貨物を運んでいた、東京都専用の臨港貨物鉄道、晴海線。30年余の歴史を刻んだその専用線は、平成元年2月に廃止されてから次第に痕跡を消していった。現在わずかに残っているものも、周辺の工場・倉庫の移転に伴う再開発の波にさらされ、加速度的に消滅し続けている。
 特に、晴海橋梁と並んで晴海線最大の遺構だった機関車車庫(機関庫)が、平成17年9月から10月にかけて解体され消滅したのは、晴海線ファン?の一人として大変寂しい出来事だった。
 東京港の物流を支え、ひいては日本の高度経済成長に寄与したという実利的な側面よりも、その貨物鉄道が存在したという確かな名残りに興味を引かれる。はるか先へと続く鉄道のレールを間近にしたときの、何か胸たかまる感情。錆びたレールと朽ちた枕木から発散される、懐かしい匂い。果てしなく発展する未来への希望があった、憧憬の、昭和の原風景。
<http://www.pluto.dti.ne.jp/~suzuki-y/tokai/tokai15.htmlから>

★参考資料★
現在首都高速道路になっている掘割などの川にかかった橋については、中央区郷土史同好会の第40回講演会内容を参照してください。

なお表中の日付は写真撮影日を示します。

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2009-12-08 作成 

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