でぃすかばー・とうきょう
歩いて見ました東京の街

第二章 中央区
補-1 (2/11)
東陽院 <中央区勝どき4-12-9>

03-01-01-01寺院遠景 1970-03-07

03-01-01-02十返舎一九墓 1970-03-07

03-01-01-03寺院遠景 1970-03-07
人形町大観音 <中央区日本橋人形町1−18−9>

03-01-02-01入口 1975-04-02

03-01-02-02本堂 1975-04-02

03-01-02-03本堂から 1975-04-02

03-01-03-01案内板 1975-04-02
智泉院の薬師 <中央区日本橋茅場町 1-5−13 >

03-01-04-01入口 1975-7-08

03-01-04-02遠景 1975-7-08

03-01-04-03近景 1975-7-08

03-01-05-01観音像1979-03-15

03-01-05-02遠景1979-03-15

03-01-05-03榎本其角の住居跡 1979-03-15
小伝馬町江戸牢屋敷跡・身延別院 <中央区日本橋小伝馬町 3−2>

03-01-06-01身延別院・遠景 1979-01-16

03-01-06-02身延別院・案内板 1979-01-16

03-01-07-01身延別院・本堂 1979-01-16

03-01-08-01大安楽院・本堂 1981-01-06

03-01-08-02大安楽院・本堂 1981-01-06

03-01-08-03大安楽院・牢獄の碑 1981-01-06
03-01-13-01大安楽院・入口 1983-11-30
03-01-13-02大安楽院・本堂 1983-11-30

03-01-13-03大安楽院・延命地蔵 1983-11-30
薬研堀不動堂 <中央区東日本橋 2-6-8>

03-01-09-01本堂 1979-11-12

03-01-09-02入口 1979-11-12
正徳院地蔵寺 <中央区八重洲 1-2-5>

03-01-10-01本堂遠景 1980-02-21

03-01-10-02本堂正面 1980-02-21

03-01-11-01沿革碑近景 1984-12-10

03-01-11-02沿革碑詳細 1984-12-10
宝地蔵 <中央区京橋 1-19 >

03-01-12-01遠景 1982-10-29

03-01-12-02地蔵遠景 1982-10-29

03-01-12-03地蔵近景 1982-10-29
伝馬町牢獄跡 <中央区日本橋小伝馬町3-5>

03-01-14-01鐘楼 1966-01-20

03-01-14-02吉田松陰の碑 1966-01-20

03-01-14-03案内板 1966-01-20

03-01-15-01碑近景 1966-01-20

03-01-15-02碑詳細 1966-01-20

03-01-15-03案内板 1977-02-01

03-01-16-01鐘楼 1968-12-08

03-01-16-02鐘楼 1968-12-08

03-01-16-03鐘楼 1968-12-08

03-01-17-01吉田松陰の碑公園 1968-12-08

03-01-17-02吉田松陰の碑公園 1968-12-08

03-01-17-03吉田松陰の碑公園 1968-12-08

03-01-18-01処刑場の碑遠景 1968-12-08

03-01-18-02処刑場の碑詳細 1968-12-08

03-01-18-03処刑場の碑詳細 1968-12-08

03-01-19-01松陰辞世句 1968-12-08

03-01-19-02案内板 1968-12-08

03-01-19-03松陰辞世句 1968-12-08
三浦安針屋敷跡 <中央区日本橋室町 1-10>

03-01-20-01碑遠景 1975-11-01

03-01-20-02碑近景 1975-11-01

03-01-20-03碑詳細 1975-11-01
芝口御門跡 <中央区銀座8-10-8.>

03-01-22-01案内板 1978-05-31

03-01-22-02碑近景 1978-05-31

03-01-22-03碑遠景 1978-05-31

03-01-23-01碑遠景 1978-05-31

03-01-24-01碑近景 1981-11-05

03-01-24-02碑遠景 1981-11-05

03-01-24-03碑詳細 1981-11-05
聖路加病院周辺・浅野匠守邸跡・蘭学発祥の地 <千代田区明石町>

03-01-25-01蘭学発祥の碑遠景 1967-11-26

03-01-25-02碑近景 1967-11-26

03-01-25-03聖路加病院 1967-11-26

03-01-26-01碑詳細 1967-11-26

03-01-26-02碑詳細 1967-11-26

03-01-26-03浅野匠守旧居跡 1967-11-26

03-01-27-01聖路加病院 1973-12-14

03-01-27-02聖路加病院と碑 1973-12-14

03-01-27-03聖路加病院と碑 1973-12-14

03-01-28-01聖路加病院と碑 1973-12-14

03-01-28-02碑詳細 1973-12-14

03-01-28-03碑詳細 1973-12-14

03-01-29-01聖路加病院と碑 1973-12-14

03-01-29-02碑遠景 1973-12-14

03-01-29-03碑詳細 1973-12-14

03-01-30-01案内板 1973-12-14

03-01-30-02浅野邸跡の標柱 1973-12-14

03-01-31-01聖路加病院の碑 1979-03-15

03-01-31-02旧礼拝堂と旧学生寮 1979-03-15

03-01-31-03旧館、現二号館 1979-03-15

03-01-32-01駐車場付近 1979-03-15

03-01-32-02駐車場付近 1981-04-13

03-01-33-01聖路加病院 1987-11-24
泰明小学校・島崎藤村と北村透谷の碑 <中央区銀座 5-1-13>

03-01-34-01学校遠景 1970-01-23

03-01-34-02学校遠景 1970-01-23

03-01-34-03碑近景 1970-01-23

03-01-35-01案内板 1970-01-23

03-01-35-02案内板遠景 1985-04-23

03-01-35-03小学校の碑 1989-04-02
新幸橋跡 <中央区銀座8丁目.>

03-01-36-01碑遠景 1970-03-06

03-01-36-02碑近景 1983-05-06

03-01-36-03碑詳細 1983-05-06
ヘンリーフォールズの碑 <中央区明石町 8>

03-01-37-01碑遠景 1970-12-20

03-01-37-02碑詳細 1970-12-20

03-01-37-03碑近景 1970-12-20

03-01-38-01碑遠景 1970-12-20
ここは明治初年にあった築地居留地の18号地で英国人医師ヘンリー・フォールズ(1843〜1930)が明治7年(1874)から同19年(1886)に至る滞日中に居住した所である。彼はわが国で行われていた指印の習慣に興味をもちたまたま発掘された土器に印象されていた古代人の指紋を発見しこれにヒントを得てここではじめて科学的な指紋の研究を行った。明治13年(1880)10月英国の雑誌「ネーチュア」に日本から投稿した彼の論文は科学的指紋法に関する世界最初の論文といわれ その中で早くも犯罪者の個人識別の経験を発表し また指紋の遺伝関係にも言及している 明治44年(1911)4月1日わが国の警察においてはじめて指紋法が採用された。
<http://www.viva-edo.com/kinenhi/tukiji2/simon.htmlから>
指紋研究発祥の地 <中央区明石町 8>

03-01-38-02碑詳細 1984-03-12

03-01-38-03碑近景 1984-03-12

03-01-39-01碑遠景 1984-03-12
両国広小路跡 <中央区東日本橋 2-26>

03-01-40-01碑遠景 1982-05-10

03-01-40-02碑近景 1982-05-10

03-01-41-01碑詳細 1982-05-10

03-01-41-02碑詳細 1982-05-10

03-01-41-03碑詳細 1982-05-10
海水館跡 <中央区佃 3-11-19>

03-01-42-01標柱近景 1973-01-26

03-01-42-02標柱遠景 1973-01-26

03-01-43-01案内板 1970-11-30
海水館は明治38年に坪井半蔵によって建設された割烹旅館でした。当時の月島は東京湾を臨む風光明眉な地で、海岸に面した松林の多いところでした。宮城県仙台市の建物を移築して旅館兼下宿として開業しました。閑静な地であるため明治末期から多くの文学者に執筆場所として利用されました。建坪は130坪の2階建てで部屋数は24ありました。明治40年から島崎藤村が自伝小説『春』を当館で執筆し新聞に連載しました。小山内薫は海水館に止宿し、明治44年から『大川端』を執筆しています。
 詩人の吉井勇は大正2年から止宿して歌集『毒うつぎ』の創作にはげみました。三木露風は明治45年と大正2年に止宿し、詩集『白き手の猟人』をまとめ『白萩紅萩』には「月島の広き草原風吹きて東の風の涼しかりけり」の一首があります。海水館は大正12年の関東大震災で全焼しましたが、その時の石畳みが今も坪井宅に残っています。
 海水館はその後も下宿として続いていますが、明治から大正年間にかけて著名な文学者が種々の作品を執筆した場所として中央区にとって貴重な史跡です。
<http://www.city.chuo.lg.jp/info/bunkazai/bunka075.htmlから>
築地小劇場跡 <中央区築地 2-11>

03-01-44-01遠景 1975-09-22

03-01-44-02遠景 1975-09-22

03-01-45-01碑詳細 1977-08-20

03-01-45-02碑詳細 1977-08-20

03-01-45-03碑近景 1977-08-20
玄治店跡 <中央区日本橋人形町 3-8付近>

03-01-46-01案内板 1968-06-07

03-01-46-02標柱 1968-06-07

03-01-47-01遠景 1974-05-25

03-01-47-02遠景 1974-05-25

03-01-47-03案内板 1985-12-03

03-01-48-01建替え後 1986-12-01
上段の古い建物は1986年一月に取り壊され左の写真のように建て替えられた。
浴恩園跡 <中央区築地 5-2-1>

03-01-49-01案内板遠景 1974-08-07

03-01-49-02案内板 1974-08-07
築地市場正門前・朝日新聞社新社屋 <中央区築地5-3-2>

03-01-50-01遠景 1980-11-30

03-01-50-02遠景 1980-11-30
龍閑川跡 <中央区日本橋本石町 4-2>

03-01-51-01碑遠景 1974-08-13

03-01-51-02碑近景 1974-08-13

03-01-51-03龍閑橋跡 1974-08-13

03-01-52-01案内板 1976-11-19

なお表中の日付は写真撮影日を示します。

聖路加病院の写真中、写真番号03-01-31-02と03-01-31-03の説明は聖路加病院広報課からの助言をいただきましたので、ここにお礼いたします。

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2009-11-27作成
2009-12-05 修正 

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