でぃすかばー・とうきょう
歩いて見ました東京の街

皇居とその周辺

第一巻 補-5
竹橋周辺

01-05-01-01パレスサイドビルと平川門 1966-03-21

01-05-01-02竹橋駅付近 1966-03-21

01-05-01-03和気清麻呂像 1966-03-21

01-05-02-01和気清麻呂像 1966-03-21

01-05-02-02和気清麻呂像 1966-03-21

01-05-02-03和気清麻呂像 1966-03-21

01-05-03-01パレスサイドビル 1967-03-11

01-05-03-02気象台から錦町を 1967-03-11

01-05-04-01気象台 1970-03-02

01-05-04-02気象台跡 1979-02-09
mmmm

01-05-12-01竹橋付近 1972-05-18

01-05-12-02竹橋付近 1972-05-18

01-05-12-03竹橋付近 1972-05-18
01-05-13-01左平川門1972-05-18
01-05-13-02竹橋付近 1973-12-18

01-05-13-03竹橋付近 1973-12-18

01-05-14-01和気清麻呂像 1972-05-18

01-05-14-02和気清麻呂像 1972-05-18

01-05-14-03和気清麻呂像 1972-05-18

01-05-15-01右平川門 1973-12-18

01-05-15-02右平川門 1973-12-18

01-05-15-03右平川門 1973-12-18

01-05-16-01右平川門 1975-08-05

01-05-16-02右平川門 1976-03-14

01-05-16-03右平川門 1976-03-14

01-05-17-01和気清麻呂像 1976-03-04

01-05-17-02和気清麻呂像 1976-03-04

01-05-18-01竹橋付近 1978-03-24

01-05-18-02竹橋付近 1978-03-24

01-05-18-03竹橋付近 1978-03-24

01-05-19-01竹橋付近 1980-02-09

01-05-19-02竹橋会館から 1980-02-06

01-05-19-03竹橋会館から 1980-02-06

01-05-20-01竹橋付近 1981-10-02

01-05-20-02 平川門 1982-09-13

01-05-21-01和気清麻呂像 1984-05-07

01-05-21-02和気清麻呂像 1984-05-07

01-05-21-03震災いちょう 1984-05-07

01-05-22-01竹橋駅前の公園 1990-04-09

01-05-22-02竹橋駅前の公園 1990-04-09

01-05-22-03竹橋駅前の公園 1990-04-09

01-05-23-01竹橋駅前の公園 1990-04-09

01-05-23-02竹橋駅前の公園 1990-04-09

01-05-23-03竹橋駅前の公園 1990-04-09

01-05-24-01毎日新聞社 1990-04-09

01-05-24-02竹橋から九段を 1990-04-09

01-05-24-03竹橋から丸の内を 1990-04-09
清水門付近

01-05-05-01清水門 1970-03-02

01-05-05-02清水門 1970-03-02

01-05-05-03清水門 1970-03-02

01-05-06-01清水門 1970-03-02
01-05-06-02清水門 1970-03-02

01-05-07-01清水門 1976-03-15

01-05-07-02清水門 1976-03-15

01-05-07-03清水門 1976-03-15

01-05-08-01清水門 1976-03-15

01-05-08-02清水門から 1976-03-15

01-05-09-01清水門 1976-09-01

01-05-09-021清水門から 1978-08-09

01-05-10-011清水門 1983-02-28
太田道灌追慕の碑

01-05-11-01追慕の碑 1970-03-02

01-05-11-02追慕の碑 1970-03-02
平将門首塚

01-05-25-01由来 1967-03-11

01-05-25-02 遠景 1967-03-11

01-05-25-03 近景 1967-03-11

01-05-26-01 将門首塚 1973-12-28

01-05-26-02将門首塚 1973-12-28

01-05-26-03将門首塚 1973-12-28

01-05-27-01 遠景 1976-09-23

01-05-27-02 遠景 1976-09-23
平将門の首塚は都内でも有数のパワースポットである。

近くにあった長期信用銀行の行員は本店移転前にはこの塚の前を通って通勤していたが、移転後には経路が変わってしまった。行員が参詣しなくなってしばらくしてから長銀は破綻した。これも将門の呪いのひとつであろうと、塚の管理人さんが言っていた。

01-05-28-01案内板 1978-07-13

01-05-28-02遠景 1978-07-13

01-05-28-03近景 1978-07-13

01-05-29-01近景 1978-07-13

01-05-29-02近景 1979-08-13
碑の頂部付近に強いエネルギーをかんじませんか?
酒井家上屋敷跡(伊達騒動)

01-05-30-01酒井家上屋敷跡 1986-03-13
伊達騒動(だてそうどう)は、江戸時代前期に伊達氏の仙台藩で起こったお家騒動である。加賀騒動(かがそうどう)、黒田騒動(くろだそうどう)とともに三大お家騒動と呼ばれる。騒動は三期に分類され、それぞれが関連性を持っている。

綱村が藩主になると、大叔父にあたる宗勝が後見として実権を掌握した。宗勝は家老の原田甲斐宗輔らと藩権力の集権化を行い、地方知行制を維持しようとする伊達氏一門と対立する。一門の伊達安芸宗重と宗勝の甥にあたる伊達式部宗倫の所領紛争が起こると伊達安芸は幕府に一件を上訴する。
1671年(寛文11年)3月27日、騒動の裁判を行うため大老の酒井忠清邸に原田甲斐や伊達安芸ら関係者が召喚される。原田甲斐はその場で伊達安芸に斬りかかって殺害する。だが、原田甲斐も安芸派の柴田外記朝意と斬りあいになった。原田甲斐は柴田外記によって斬られ、柴田外記もその日のうちに原田甲斐からの傷が元で死亡した。関係者が死亡した事件の事後処理では原田家や兵部派が処罰されるが、伊達家は守られる事となった。
この事件は歌舞伎『伽羅先代萩』『伊達競阿国戯場』や、山本周五郎の小説『樅ノ木は残った』などの題材となる。
大蔵省紙幣寮跡

01-05-31-01紙幣寮跡の碑 1972-10-17

01-05-31-02碑遠景 1972-10-17

01-05-32-01碑遠景 1985-03-18

01-05-32-02碑遠景 1985-03-18
街路樹の碑

01-05-33-01碑近景 1975-04-23

01-05-33-02碑遠景 1975-04-23

01-05-33-03碑遠景 1975-04-23

01-05-34-01碑近景 1975-04-23
竹橋

01-05-35-01竹橋 1982-09-13

01-05-36-01竹橋 1982-09-13

01-05-36-02竹橋 1982-09-13

01-05-36-03竹橋 1990-04-09
大手町

01-05-37-01千代田線開通 1969-12-20

なお表中の日付は写真撮影日を示します。

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2009-11-06作成
2009-12-10 変更

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